ワンカット

 長い仕事に区切りがつくと、半年前に我が家にやってきた盲導犬のパピーが見違えるほど大きくなっていた。
久しぶりに散歩に連れ出すと、リードを引く力が強い。引かれるままに歩いていると、見ず知らずの商店街にたどりつく。いつも歩いている道なのだろうか。通りの装おいはすっかり春である。

 もう10年近く前だろうか。「さよらなレザン」というテレビドキュメンタリーの佳品があった。盲目の歌手と盲導犬が引退し別れるその日までの3週間を追った番組だった。
 強く心に刻まれたのは長いラストカットだった。歌手は、引退する盲導犬を里親のもとに預けにいく。今生の別れである。歌手は、去り際、盲導犬に「待て」と指示を出す。盲導犬は、歌手の指示を一度として破ったことがない。歌手は「待て」の指示を出したまま部屋を出て、玄関の扉を開ける。すると何かを察したのか、禁を犯したことのない盲導犬が、ものすごい勢いで玄関まで走ってくる。歌手は、しかし、怒ったように玄関を出ていく。そして踵を返すことなく歩き続ける。ついさっきまでいつも盲導犬と歩くのが常だった歌手は、何かに憑かれたようなスピードで歩き続ける。そして、里親の家の気配がないところまでたどり着くと、足を止め、おもむろにタバコを取りだし、煙をくゆらせる。その時、歌手の頬には一筋の涙が流れている。

 このラストカットは、記憶に間違いがなければワンカットだった。カメラマンは息をとめ、この別れの一部始終をカメラにおさめていたのである。

 盲導犬ジュニアを連れて散歩をしながら、その長いワンカットを思い出していた。最近読んだ最新号の「放送レポート」の中に、ディレクターが自分でデジカメを回すようになった弊害のようなことが書いてあった。確かに、あのワンカットは、カメラを意志のある眼として司るものでなければ絶対撮れないワンカットだったろう。

 そういえば最近そんなワンカットをとんと見ていないような気がする。