開高健「輝ける闇」

出張で三重県の伊勢に行った。三重県に行くのは生まれて初めてだなあなどと思いながら近鉄特急に乗っていて、ふと5年ほどまえに一泊二日で鈴鹿のホンダに取材にいったことがあったことを思い出した。まとまった大きな仕事に関する記憶はわりと後までくっきりしているが、誰かのヘルプで行った仕事とか、準備期間が短く「早さ」が優先される仕事とかの記憶は、ずいぶんぼんやりとしてしまうことが多くなってきた。ブログは、僕にとって、記憶代替装置である。

行き帰りの新幹線や特急で開高健の「輝ける闇」を読了する。開高自身のベトナム戦争従軍体験が下敷きになった作品だが、彼が書いたルポ「ベトナム戦記」のエピソードと重なる部分が多い。

開高健特有の絢爛たる修辞が、作品に異様な、壊れやすいカラス細工のような緊張感を与えていて、ぬかるんだ倦怠から(それは「生きる」ことにつきまとう汚泥のような倦怠だ)、前線に身おくことで死をもって作家自身を解体しようとする、そのまる裸の精神の「劇場」に畏怖を覚えた。

輝ける闇 (1968年)

輝ける闇 (1968年)