人物を等身大に描くということ


日曜日、取材で東大を訪れる。実人生で全く縁がない場所である。
安藤忠雄氏が建築した福武ホールという建物の中で若い3人を取材させていただいた。

とても楽しく取材させていただいたが、それはそうと安藤忠雄氏は2度ほどお会いさせていただいたことがある。氏に関しては過去にいくつものドキュメンタリー番組が放送されているので、事前にある程度の想定をしていたのだが、実際にお会いするとドキュメンタリーで規定されていたスケールをはるかに凌駕する、圧倒的な魅力にあふれる方だった。世界的な建築家として評価はどの番組も言葉を尽くしているのだが、氏の魅力は、ふとした瞬間に発せられる言葉、度肝を抜く着想とユーモア、そして邪気のない行動、そんなものにこそあらわれているというのがお会いした時の感想だった。しかし、ドキュメンタリーの中で構成に落とし込まれていくと、そうしたディティールはすべて割愛されるか、矮小化されてしまうのである。果たしてそれはテレビドキュメンタリーのおおいなる弱点だと、それ以来強く感じるようになった。時を同じくして、安藤氏について書かれたノンフィクション「光の教会」を読むと、お会いした安藤氏の印象とほぼ変わりない姿が余すことなく描かれていて実に魅力的なのである。
 実は、本当の「巨人」を描くヒューマンドキュメンタリーは、テレビでは殆ど実現されたことがないのではないだろうか。その真偽はわからないが、そのことについて自覚的でなければならないと改めて思う。

夜は、録画しておいたザ・ノンフィクション「不思議なサケの物語」などを見る。はたまたドキュメンタリーの難しさに思いを致す。