実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

 久し振りに映画館で映画を見た。ぜひ見たいと思っていた「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」。

映画館は満員で、ほとんど団塊の世代以上のように見受けられた。

 内容は、自分の中で容易には言語化できないほど圧倒的で、その昏さは「時代」という一言で片づけることのできない本質的なものが含まれていた。
以前から、なぜ彼らは同志を総括という名で、殺していったのか、そのことの深淵が知りたくて、いろんな本を読んできたが、その問いは、映画を観終わった後、さらに深まってしまったように思える。

 映画館に訪れていた人々はどんな思いでスクリーンを見つめていたのだろう。隣に座っていた初老の男性は、特段、笑えるシーンとも思えないところで、小さくシニカルな笑い声をたてていた。
 時代の滾りの中で先鋭化していった彼ら彼女らをどこかで羨望しながら、別の道をあゆんだ映画館に集まった人々・・・。連合赤軍事件を尻目に、あれほど敵視していた社会の構成員になり、愚痴をこぼしたり、日和見的になったり、後輩に説教したり、「俺たちの時代は」と誇らしげに語ったり、バブルに狂奔し拝金主義になったり、軽い気持ちで浮気をしたり、息子にぐれられたり、年金と退職金のことを気にしたり、団塊とくくられることを嫌がったり、そして「俺たちの青春は輝いていた」などと目を細めたり・・・。かつて「革命的」であることに憧れたあなたがたは、日本をどこに向かわせたのだろうか。

 連合赤軍中央委員、同志たちを粛清していった森恒夫の遺書。これらの言葉から見えてくるものは一体なんのだろうか・・・。

一年前の今日の何と暗かったことか。この一年間の自己をふりかえるととめどなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます。方向はわかりました。今のぼくに必要なのは真の勇気のみです。はじめての革命的試練ー跳躍のための。