時差ぼけと是枝裕和

 時差ぼけ。アメリカ国内を移動してさらに時間の感覚がおかしくなっていく。
以前はそんなに気にならなかったが、今回はそれなりのダメージが体に蓄積されていき体内時計は狂いっぱなしだ。

 朝から撮影をして、夜は打ち合わせをして、遅くにホテルに戻って見るネットが日本との接点だ。RSSリーダーの情報のうち「ドキュメンタリー」というキーワードで収集しているものの中にこんな映像があった。
   http://www.ourplanet-tv.org/whats/2008/20080409_12.html

 他の人の発言には関心はないのだが、是枝裕和さんの発言は何度も見返した。発言を聞きながら、是枝さんはやはりドキュメンタリーの中心にいるべき人だと思った。彼のつくる映画も毎回楽しみなのだが、しかしながらそれはドキュメンタリーの比ではない・・・。テレビドキュメンタリーというジャンルの中で、彼の「欠落」は、様々な意味で大きい。例えば、是枝さんの作品を貫く「私性」は、常に彼特有の深い問題意識下でコントロールされているがゆえに、いわゆるNHK的なドキュメンタリーの方法論と鋭く拮抗し、まさに「単騎」でそれを凌駕していたと思う。しかし、是枝さんがテレビから映画に活躍の軸足をうつしてからは、水準の高い「私」ドキュメンタリーは、テレビでは殆ど見られることがなくなったと思うし、方法論の掘り起こしのスピードが遅くなっているとも思う。。
 もう一つは、是枝さんの「詩性」である。「しかし・・・」「日本人になりたかった・・・」「彼のいない八月が」「あるくような速さで」などなど、彼の番組のタイトルに象徴されるような不思議な叙情をともなう世界観は、なかなか真似が出来るものでもない。(しかも、作品タッチは極めてドライなのである!)

 ともかく、しっかりとよく考え、しっかりとよく働かなければと、いまは、つよく思う。

youtubeにこんなのがありました。ドキュメンタリー論ではないですが)