「サイゴンから来た妻と娘」/渋谷「故宮」

仕事帰りに先輩と台湾料理の「故宮」に行く。
料理はそれなりに美味しいのだが、紹興酒のボトルが小さく、酒飲みとしては予算が嵩むことしきり。
渋谷は酒飲みに適する飲み屋が少ない街である。

近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」を読む。
ベトナム戦争時のサイゴンの人々の息吹が、行間から立ち上ってくる。自らも庶民の目線にたって見つめた作品は、戦争を論じているわけではないのだけれど、戦時でも人間は「どっこい生きている」のだと感じられる。
卓抜な比較文化論になっているこの作品は、しかし、近藤がその後早世しただけに、30年後に読むと、深いペーソスが改めて与えられていて、物悲しい。

「死ぬときはベトナムで死にたいか」
と私はときどき妻に聞く。
「そうねえ。でも、いったいどっちが先に死ぬの?」
「そりゃあこっちだ。もう働きすぎて消耗しかかっている。」
「笑わせないよ」
「こっちが先に死んだらどうする?」
「わからなわいわ。後追い自殺でもしようか。その頃はユンも自分の生活を持っているでしょうからね。
でも、生命保険だけはたくさんかけておいてよ」
「幾らぐらい?」
「そうね、少なくとも三千万円ぐらいはかけておいて」
案外、真面目な顔でいう。
「とにかく、おカネを手にしてから、後を追うか追わないか考えるから」
まだ三千万円の保険は入っていないので私は死にきれない。
(「ベトナムからの手紙」より)
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サイゴンから来た妻と娘 (1978年)

サイゴンから来た妻と娘 (1978年)