開高健「ベトナム戦記」「サイゴンの十字架」
すっと気になっていながら、何度も頁をくくりながら、読んでこなかった本があります。
開高健の「ベトナム戦記」もそんな本の一冊でした。
10代でベルリンの壁の崩壊をテレビで見た冷戦下の世界を体感しなかった世代を生きてきた僕にとって「ベトナム」とは「戦争」よりも「ベトナムの衝撃」から派生していったカウンターカルチャーの方が身近に体感出来るものでした。
開高健の「ベトナム戦記」は、学生時代に「知識的進歩人」が書いたものの中に、「アメリカ軍に従軍して書いたアメリカ的な目線」という批判が朧気ながらあったような気がします。(誰が書いたどんな本だったかは全く思い出せませんが。全く的はずれなのは言うまでもありません。)
今回「ベトナム戦記」を読んでみて、圧倒的な興奮と感動、そして畏怖を覚えました。
開高の人々を見つめる目線(北軍であれ南軍であれ解放戦線軍であれアメリカ軍であれ)、そこから湧出せれる開高の言葉、大義も小義も、将軍の言葉も市民の言葉も、ごちゃまぜになって、混沌として、あるがままを心にため込んで、しかしそこからドリップされてくる開高自身の「世界」が圧倒的なのです。
「ベトナム戦記」は巧まざる「箴言」が溢れていて、その卑称さや弱さこそが戦争や人間の真実であると思わざるを得ませんでした。
戦場になった村を見て
若い男の死体。国境。強姦された村々。地雷の炸裂音。照明弾。毛ジラミのとりあいをする女たち。南へいき、北へいきするたびに、毎日、この国の悲惨さが眼や耳から私たちの中に入ってきた。
水田、ジャングル、山岳地帯、彼らは貧しいベトナム農民兵といっしょに起居しながらわたり歩き、フランス植民地主義追放のために血と汗を流した。あるものは死に、あるものは生きのこった。・・・スローガンを美しく壮大な言葉で書きまくり、しゃべりまくった将軍たちや、高級将校や、新聞記者、従軍文士などはいちはやく日本へ逃げ帰って、ちゃいと口ぬぐい、知らん顔をして新しい言葉、昨日白いといったことを今日は黒いといってふたたび書きまくり、しゃべりまくって暮らしはじめたのである。
従軍して
ここ十日ほど、毎夜、あけがたの三時か四時ごろにならないと眠れなかった。妻子、友人、三十四年間のさまざまなことを思いだして苦しめられた。神経が一本、一本ヤスリにかけられるようだった。想像力は食慾とおなじくらい強力だ。圧倒的で、苛酷で、無残である。"アジアの戦争の実態を見とどけたい"という言葉をサイゴンで何度となく口のなかでつぶやいたためにいまこんなジャングルのはずれの汗くさい兵舎で寝ているのだが、夜襲を待つ恐ろしさと苦しさに出会うと、ほとんど影が薄れてしまったようだ。ベトナム人でもなくアメリカ人でもない私がこんなところで死ぬのはまったくばかげているという感想だけが赤裸で強烈であった。・・・<<
- 作者: 開高健
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