草創期の熱気

今日の読売新聞の編集手帳より。

杉下茂投手の球が打者、藤尾茂選手の下っ腹を直撃した。1955年6月7日の巨人―中日戦である。実況の志村正順(せいじゅん)アナウンサーは「当たりました。なんと藤尾の“き…”」と言って絶句した。志村アナは机の下で隣の解説者、小西得郎氏の靴(くつ)を蹴(け)った。「き」の続きはあなたが言え、という。二度、三度と蹴る。「何と申しましょうか」の小西節はこうして生まれたと野球評論家、近藤唯之さんの「プロ野球監督列伝」(新潮社)にある。急所の「き」やら、何の「き」やら、二人の呼吸が愉(たの)しい。相撲解説者、神風正一さんとの名コンビといい、「声の軽機関銃」と評された実況の名手は掛け合いの手練(てだ)れでもあったろう。志村さんが94歳で亡くなった。戦時下には、神宮外苑で出陣学徒壮行会の実況を担当している。戦後は、巨人と阪神が天覧試合に火花を散らした後楽園球場でマイクの前にいた。昭和の世に降る氷雨も、舞う紙吹雪も、その人の声を抜きには語れない。「さすがは怪童中西、かすっただけでホームラン。どうです、小西さん」。訃報(ふほう)に、往年の名調子を耳によみがえらせた方もおられよう。

テレビの世界の大先輩の志村正順さんの訃報に関してのコラムを読んで、行間からテレビ草創期の独特の雰囲気を感じる。放送それ自体が興奮体験であるかのような「熱気」である。
テレビはすでに壮年期をこえまもなく老境にさしかかろうとしている。「茶の間の王様」だと繁栄に胡座をかいてきたせいか、「伝統」と言うよりは「保守的」なだけな、「革新」といようりは「矮小」なだけな、「見識」と言うよりは「臆病」なだけな、テレビ表現が増えてきたようにも思える。
コラムで紹介される志村さんの実況を読むと、そこには「革新」があり「見識」があるのがわかる。テレビはいつのまにか、そうした先人たちの功績を縮小再生産しているだけになっているのではないだろうか。

最近、インターネットの世界を取材してみて、その世界に明るくなかったことを差し引いても、「革新」と「見識」に満ちた人々が、テレビの世界よりも多い気がする。テレビがインターネットにとってかわられようとしているのは、決して、テクノロジーの進化のせいだけではない。

志村正順のラジオ・デイズ (新潮文庫)

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