賢姉愚弟

 同じ職場で働く後輩と久しぶりに話しをした。ある企画の方向性に悩んでいるという。
どんな仕事でもそうだが、自分にとって、番組制作はいつも逡巡と後悔の繰り返しだ。夜中に「なぜ自分はこの企画が出来ると思ってしまったんだろう」と考えて眠れなくなりそのまま朝を迎えることも数知れない。それでいて、他の人が番組の可能性に懐疑的でも「出来ます」と言い募り、最後の防衛戦を守ってしまう。そして、また後悔。毎回、その連鎖である。
後輩と話していて、役立つことはまったく言えない自分をふがいなく思いながら、後輩も自分できっと答えを見つけていくのだろうと考えた。

 本田靖春が、向田邦子を偲んで書いた「賢姉愚弟」というエッセイの中で向田が言ったという言葉を、僕は企画に行き詰まるときにはいつも思い出してしまう。

自分のノンフィクション作品がテレビドラマの原作候補になりながら「作品が暗い」とテレビ局の幹部にストップをかけられた本田は、「それなら結構」と突っぱねようとしたことがあったという。向田はそのドラマの脚本を担当していたわけではなかったが「絶対いい作品になる」と、渋る関係者たちを説き伏せ実現させた。そして、そのドラマ「誘拐」は、その年の主要な賞を独占した・・・。ささやかな慰労会の最後、別れ際に向田は本田にこう言ったという。

 『あなたは私より三つも弟じゃないですか。姉として申し上げますけどね。あなたそのまま行くと、ただの拗ね者になりますよ。あれがいけない、これがいやだなんていわず、いまは黙ってどんどんお書きなさい。そういうことだって大切なんですよ。いいですか。ここで約束しなさい。』

 テレビ界の輝かしき功績を残し早逝した向田の言葉は、プラクティカルに、重い。 

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

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