俗情との結託

 一か月ぐらい前に放送されて、何やかやで見ていなかったETV特集神聖喜劇ふたたび〜作家大西巨人の闘い〜」を見ました。90分というサイズでしたが、様々な演出が施され、老作家の強靭な精神のありようをあますことなく堪能できるドキュメンタリーでした。
 大西巨人と言えば「俗情との結託」という言葉が有名です。戦後、野間宏の「真空地帯」をめぐって宮本顕治との論争の中から出てきた言葉ですが、大意は「売れる事を優先して大事なものを捨てること」でしょうか。
 テレビ番組を創るという行為は、ある意味「俗情との結託」を終始余儀なくされるものであるでしょうし、またさもなければ人気のある番組は生まれないという側面もあると思います。ならば、ドキュメンタリーの場合はどうであるのか、自分は必要以上に「俗情と結託」しているのではないのか、そんなことを考えさせれた番組でした。

 同じようなことを論座6月号の「映画「靖国」騒動への疑問」という特集の中での是枝裕和の論考を読んでも、考えさせられました。「いいドキュメンタリーというのは、一人の人間の在りようと近くなります。一人の人間を一つのメッセージに置き換えることができないように、いいドキュメンタリーほどメッセージは複雑で、受け止められ方も複雑になる。」として、ドキュメンタリーのメッセージとは作品に付随するのではなく、見た人の内部にある、と語っています。

 誰のものでもない、自分の目でよく見て、自分の頭でよく考えて・・・。

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

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