ヒロシマ・ノート、戦争と人間

 旅先で大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」を購入。学生時代に古本屋で買って読んだような気がするのだが、読了してみると何も覚えていなかった。

僕は、この二十世紀後半の地球の唯一の地、広島の赤裸々に体現している人間の思想を記憶し、記憶し続けたいと思う。広島は人類全体の最も鋭く露出した傷のようなものだ。そこに人間の恢復の希望と腐敗の危機との二つの芽の露頭がある。もし、われわれ今日の日本人がそれをしなければ、この唯一の地にほの見える恢復の兆しは朽ちはててしまう。そしてわれわれの真の頽廃がはじまるだろう。広島をたびたび訪れた日本人のひとりとして、僕は、僕自身が、広島に触発されてきたものを、いわば広島をめぐる僕個人の小さな思想とでもいうべきものを、ここに書きつけておきたいと思う。(中略)僕は、この答案で、おもに人間の威厳についてかたりたいと思う。それこそが、僕の広島で発見した、もっとも根本的な思想だし、いま僕が自分の支えにしたいものは、それにこそほかならないからである。

 文中に出てくるこの記述に、大江健三郎の「良心」や「責任」といったものを感じて線をひく。第一刷が1965年6月になっているので、今から43年前の発言だが、大江健三郎この小さな宣言に、強く惹かれる。

 そんなことを思いながら、ぶらぶら歩いていると、何てことのない古本屋で五味川純平の「戦争と人間」が1冊100円で売っている。7巻まであったので全部買ったらさすがに重かった。

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

ヒロシマ・ノート (岩波新書)