同期と刑事物語

ここ数ヶ月、仕事が、種類も質もばらばらで、週ごとにめまぐるしく変わる状況なので、自分が何をしているのか、ときにわからなくなるような日々である。まあ、仕事とは概してそういうものなので、これでいいのだ、という感じでもあるが、思考の連続性が確保されないのが厄介と言えば厄介で、それにしても、慣れれば大丈夫に違いない。

 通り過ぎていくニュースの中で、村上春樹イスラエルで行った「壁と卵」のスピーチが心に響いたので、本棚から小説をひっぱりだして数冊再読したりもした。「壁と卵」スピーチのように、「『世界』と対峙する覚悟」のようなものが初期のころからあったのだなと思ったりする。

 週末には久しぶりに同期と飲んで、家族や最近の仕事の話などを聞く。東京に転勤したばかりのころは、それこそ毎晩のように飲んでいた。誰にしても、だいたいにおいて、同期とかかつての同僚には、苦楽を共にしたなどといって点数が甘いものだけれど、彼は当時から「きちんとした大人」だったし、いまもそうである。
 2年ほど前に、偶然、彼が通勤用に使う自転車を見たことがあったのだが、前後に子どもを乗せる巨大なかごがついていて、それがまた普通よりもはるかに大きなもので、SF的な風景を醸し出していた。「きちんとした大人」の背中が切なく見えたものだった。

 同期と飲んだ翌日、CSで武田鉄矢の「刑事物語」シリーズがやっていた。池中玄太とともに好きなシリーズだった。頭の良さを感じさせる「映画的な意匠」が何もなく、武田鉄矢が自分のみを最大限よく見せるためだけに作られたようなシリーズだが、改めて見ても、なぜかほろりとさせられるのである。