8月のジャーナリズム

 8月がきて、今年もNHK・民放問わず戦争関連ドキュメンタリーの力作が並ぶ。居住まいを正して番組を見る。
日本海軍 400時間の証言」「核は大地に刻まれていた」「戦場のラブレター」「康子のバラ 19歳・戦禍の日記」など。厳粛な気持ちで見る。

 ドキュメンタリードラマ「少女たちの日記帳」では、エンディングのカタルシスに、涙がふいに出てくる。

 何年か前のNHKスペシャルで原民喜の「心願の国」が引用されていた。あれ以降、この時期になると読み返す癖がついた。この小文を書いたあと民喜は核戦争の予感の中で自死する。筆舌につくせぬ哀切と無念。今回、見たすべての番組に、民喜の運命と同様の哀切と無念を感じ、言葉を失うのである。

 

ふと僕はねむない寝床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寝床に侵入してくる。僕の身体、僕の存在、僕の核心、どうして僕は今こんなに冷えきっているのか。僕を生存させている地球によびかけてみる。すると地球の存在がぼんやりと僕のなかに浮ぶ。哀れな地球、冷えきった大地よ。だが、それは僕の知らない何億年後の地球らしい。僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮かんでくる。その円球の内側の中核には真赤な火の塊りがとろとろと渦巻いている。あの溶鉱炉のなかには何が存在するなのだろうか。まだ発見されない物質、まだ発想されたことのない神秘、そんなものが混じっているのかもしれない。そして、それらが一斉に地表に噴だすとき、この世は一たいどうなるのだろうか。人々はみな地下の宝庫を夢みているのだろう、破滅か、救済か、何とも知れない未来にむかって・・・。だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものよっても粉砕されない時が、そんな調和がいつか地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みていたような気がする。<<